第46話 笑顔

「準備はいい?」


「おう!」


「じゃあ!いくわよー!よーーーい!どん!」


 その合図とともに、走り出すふたり。しかし、哲はすぐに砂に足をとられ、見事に転んだ。


「きゃー、哲ちゃん」


 駆け寄る葉菜


「もおー何やってんだよぉ」


 呆れながら、やってくる生意気ざかりな大樹


「大丈夫?」


 葉菜が、哲の砂をはらう。


「うわぁ!ペッペッ!口にまで砂が入った!」


「もお、哲ちゃんたらぁ!ウフフ…アハハハ。おっかしい~」


 葉菜が笑った!


 大樹も笑う。


 哲も照れ笑いをする。


 三人して、海辺で笑う。


 あの日と変わらない海で君がようやく笑った。


 


 


 そう!葉菜。その笑顔が見たかったんだ。

 涙の乾いた君が目を輝かせ俺に見せるその笑顔。


  雨上がりに滴る雨の雫に

 太陽の光が乱反射するように眩しい…


 俺が何度も恋をした君のその笑顔に会いたかったんだ。


 


 葉菜…愛してるよ。


 


 ずっと一緒に居られなくて、ごめん。これからは、哲や大樹と長く幸せな時間を生きていくんだ。


 


 温かい闇が俺を包みこむ、葉菜、まるで君の温もりのように優しく…温かい……


 深い深い睡魔が俺を誘う。薄れゆく意識の中で


 


 葉菜………。君の声が聞こえる。


 


 


「大丈夫よ。目が覚めた時もここにいるから」


 


 


 そうだ葉菜、目覚めたら


                         また君の笑顔に会える……





 


 


 


 


 


 


 

第45話 一緒に

「あの日の事は、今でもはっきり覚えてる…嬉しくて嬉しくて、どうしたらいいのか解らないくらいドキドキして…」


波音が静かに響く。


「時が流れて…いろんな事がたくさんあって…忘れてしまった事もたくさんあるわ。だけど、あの日の事は、ずっと覚えてる…」


葉菜は、まばたきを忘れるかのように海を見つめ


「あの日と変わらない海…。まるで時間が経ってないみたい……でも、でも、もう貴方はいない…約束したのに…」


葉菜の目から大粒の涙が溢れてきた。


「涼ちゃん…涼ちゃん……もう…いないのね」


葉菜は力を無くして泣きながら地面に座り込んだ。溢れ出した涙が乾いた砂にポトポト落ちては広がって、消えていく。その姿に大樹が駆け寄ろうとしたが、哲が止めて首を横にふった。


葉菜は、大声で泣き始めた。海と月の光がそれを吸い込んでいく。


大樹は、いつも気丈で頑張っている母親のこんな姿を初めて見て戸惑っていた。


暫くすると哲が葉菜の側に行った。


「大丈夫か?」


「うん…うん…大丈夫。」


涙を拭いながら葉菜は哲が差し出された手を掴み立ち上がる。


「哲ちゃん…」


「うん?」


「こんな…こんな…私だけど…。貴方と一緒にいたいと思っては、いけないかしら…」


哲は暫く黙って、海を見つめて葉菜の顔を見た


「葉菜ちゃん、俺達の誕生日を覚えてる?」


「8月3日の…」


「そう、午前2時20分にアイツが生まれて、俺が午前2時52分に生まれてきた」


「それで、喧嘩してたよね」


「そう…俺がこの世に生まれた時には、もうアイツはこの世界に居て、そして、あの日にいなくなるまでは、俺の人生にはいつも涼平がいた。それから居なくなって……32分なんて時間は、あっという間に越して来てしまったけど…でも…それまでは遊んだり、怒られたり、心配したり…時には兄貴、時には弟みたいに…大事な俺の家族だった」


哲は泣きそうになるのを堪えて続けた。


「男と女だから、想いの深さとか形とか違うだろうけど、アイツを涼平を、忘れないのは俺も同じだよ」


「うん…」


「だから、葉菜ちゃん。これからは、アイツが生きて見る事の出来なかった未来を知る事のなかった未来を一緒に生きていかないか?」



葉菜を見つめて話した。すると、後ろから


「それって、哲ちゃんが僕のパパになるって言う事?」


葉菜と哲がその声に驚いて振り向く


「僕のパパはひとりだよ」


「あっ…そうだ…大樹!ごめん。まだ、そう決めた訳じゃないし…その…お前の気持ちもあるし、無視してて悪い」


慌てて哲が駆け寄る。その姿を見て大樹は、ちょっとイタズラっぽい表情を浮かべる。


「僕さ、ちっちゃい頃、不思議に思ってた事があるんだ」


「なっなんだ!突然?」


「友達はさ父親が、ひとりしかいないんだ」


「そっそんなの当たり前だろ!何を言ってんだ?」


「だけどさ、僕にはママに怒られると笑って庇ってくれる優しいパパ。外で走ったり、釣りをしたりして遊んでくれる哲ちゃんと二人いるんだと思ってた。大きくなるにつれて、さすがに解ったけどね」


「だから、何なんだよ?」


「だからさ、哲ちゃんはイメージ的にもパパじゃなくて、父さんか親父だね!」


「意味わからねぇ」


「まぁ、僕もこれでお役目御免になるし、助かるよ」


「はぁ?」


「だって、拓兄が


”お前んとこの、母さんと哲おじちゃん、どうなってんだよぉ?お前が何とかしろよ!”


って、いつも言われんだよ」


「拓兄って!健のとこの!」


「そそ、健おじちゃんも御用聞きに行くと、村の人に言われるし、うちの家族もみーんな、僕に言ってくるんだよ!でも、僕に


”オトナノレンアイ”


なんてわかんないし、困ってたんだ。あーーこれで、やっと何も言われなくなる」


「なっ!なっ!なんだと、回りくどい言い方をしやがって!まるで、アイツみたいだ!」


「アイツって、パパ?」


「そうだ!」


「あったりまえじゃん!僕、パパの子だよ」


「うぬぬぬ!その態度ほんとにそっくりだな!大樹!勝負だ!」


「いいよ、受けて立つ!じゃあ、ジャンケンね」


「じゃ…ジャンケン?なんでジャンケンなんだよ!てか!お前!最近、やけに俺とジャンケンすると勝ってないか!」


「ふふーん!


大樹は、得意げな顔で哲を見る。


「何、何!もしかして、大樹にも解るの?」


葉菜が大樹に駆け寄る。


「えっ?ママは、まだ解んないの?」


「解らないのよ。ねぇ大樹、教えて」


「駄目だよママ。それはズルだよ。自分で頑張ってよ」


哲と葉菜は、顔を見合わせて微笑む。


「どうしたんだよ?」


「何でもない。こんな広い砂浜に来てジャンケンなんてセコい事しないで、大樹!駆けっこするぞ!」


「オッケー!それでもいいよ!僕も部活で鍛えてるから、昔みたいに手加減なんてしなくていいぜ」


「このぉー!葉菜ちゃん!スタートの合図を頼む」


「わかったわ!」


哲と大樹が位置につく。

第44話 あの日

[あの日]


「じゃあさ、今度の休み車でどこかに出かけない?そうだな海に!」


彼が約束してくれた!嬉しい!


次の日、いつもと変わらず挨拶をした。大丈夫かしら?約束を覚えてるかな?


そうだメモで聞いてみよ!


「昨日の約束覚えてる?」


「もちろん!!」


良かった!夢じゃない。海へ行くなら、お弁当がいいわよね作って行こう。買い物に行って下ごしらえ!今日は早く仕事を終わらせなくっちゃ!


 


夜は、殆ど眠れず。お弁当を作って、約束の時間より早目に着いてしまったわ。でも、遅れるよりマシかな…


ん?!あの車、聞いてたのと似てる、中で誰か手を振ってるわ!


(彼だわ!どうしよう。緊張しちゃう…)


私服の彼もとても素敵。いつもの様に挨拶して、車に乗ると緊張して逆にペラペラ喋ってしまったわ。お喋りしすぎたかしら…。でも、あなたは、いつもと同じ笑顔で私の話を聞いてくれる。


やっぱり、この人が好き…大好き…


あっという間に、海に着いた。真っ青で凄く綺麗。


あなたは、私のお弁当を美味しそうに食べてくれる。


(作ってきて良かったわ!ふふ、玉子焼きが好きなのね)


海が綺麗…近くに行ってみたい。でも…


「サンダルだと、足が砂だらけになっちゃう」


「そういうの、苦手?」


「ううん、車の中が汚れちゃうわ。砂って中々取れないのよね…私もスニーカーにすれば良かったわ」


車を大事にしてるみたいだし…汚したら悪いかな…私は困ってしまった。


「そんな事か?気にしなくてもいいのに!ここは、ちょっと行くと足を洗う所もあるし…第一スニーカーの方が、砂が入ると後でザラザラして気持ち悪くて厄介だよ。」


「そお…?」


「あっ俺、スニーカー抜いじゃお!」


そう言うと、貴方はスニーカーとソックスを脱いで、靴にソックスを無造作に入れた。


「私も、サンダル脱いじゃおうかしら?」


「いいね!そうしなよ」


「うん」


二人とも素足で砂浜に立った。


「キャーあつぅーい」


思わず叫ぶと、彼が手を差しのべてくれた。その手を掴んで波打ち際まで走って行った。


それからは、ふたりではしゃいでたくさん遊んだ。


(彼に私の気持ちは通じてる。彼も私の事を好きでいてくれる)


そうは思っても、告白する事ができない。時間がどんどん過ぎていく。次の約束もできないかしら…


それから、ファミレスでご飯を食べて、またいろいろ話をしたわ。少しでも長く貴方と一緒にいたい…


「夜の海が怖いの」


そう話したら、彼はスマホを急に取り出して、何か見てる。


(なにか、急用かしら?どうしよう…)


「もう少し俺に付き合ってくれる?」


(良かった!)


彼とまた車に乗った。来た道を引き戻しているみたい。


(どうしたのかしら?何か忘れ物?)


そして、さっきまで居た海に着く、彼が防波堤を上がって行く。私も着いていくと、そこには、満月が映る海が広がっていた。


(綺麗だわ…)


呆然としている私に


「どう?やっぱり怖い?」


「……ううん、大丈夫」


「真っ黒じゃない!凄く凄く綺麗だわ…」


月明かりがあなたの顔を照らす。


「俺もたまに、海で夜釣りするんだけど、こんな日が時折あるんだ。でも滅多にこんなに綺麗な日はない。今は月が一番綺麗な時期でしかも、満月だ。天気もいいから、今日が最高だよ。運がいい」


彼は、とても嬉しそうにそう話してくれる。


そうだ、もう本当の事を言ってしまおう!葉菜!勇気をだして


「あの…あのね…私、謝らなくちゃ」


あなたは不安そうに私を覗き込む


「何を?」


どうしよう。嫌われちゃうかもしれない


「あの…怒らないで。お願い。」


「理由を聞かなきゃわからないよ。俺こそ、何かしちゃったのかな?」


「違うの!違うのよ!あの…この間、山下さんから、メモを渡された時…」


戸惑った顔をしてるわ


「メモを渡された時?」


「うん、私…その賭っていうか…そう、しちゃったの」


「賭?はぁ?」


「貴方が待ち合わせ場所に来てくれないかなって…給湯室に来てくれた時みたいに、私を助けに来てくれないかなって…」


「あぁ…」


やっぱり怒ったかしら…でも、今、ちゃんと言わなくちゃ


「私、泣いて泣いて山下さんを忘れられたって言ったけど、それだけじゃないの。その…あの日から、貴方の事が気になって、ずっと……。触れられた時の暖かさや、その時にとても安心したような気持ちが忘れられなくて…」


「それに、俺は引っかかっちゃった訳?」


「あっ、そんなつもりじゃ…」


どうしよう…絶対、呆れてる


「で、賭けには勝ったの?」


「わからないわ…」


もう泣きそう…言わなければ良かった…。


「いいよ、君に勝たせてあげる」


(えっ…?)


「好きだよ。付き合って欲しい」


彼から告白してくれた!


「これで、君の勝ち?」


「うん…そうみたい…」


貴方は、冷えた私の体を抱きしめてくれた。


今にも泣いてしまいそうな私の顔に手を当て見つめて、


唇にそっとキスをしてくれた。


そしてまた、冷えきった私の体をギュッと抱きしめてくれた。私も彼の背中に手をまわす。


月明かりの中、やっとひとつの影になれた。


「もう、帰ろうか?」


「うん、でも…」


「また、来よう。もう少し厚着をして、こんな天気のいい満月の夜に」


「うん、約束よ」


「約束する」


二人して手を繋いで車に戻った。


今はもう離れたくなかった。私達は海辺のホテルに入った。


先にシャワーを浴びてガウンに着替えてソファにー座っていると、彼は心配そうに目の前にかがんで、私の顔を覗き込んだ。


「ちょっと…早すぎるかな?」


「ちっ違うの、そうじゃなくて…その…私…経験ないの…」


「…初めてって事?」


「……うん」


「山下さんとも?」


「うん…他に付き合った人もいたけど、そんな風にはならなくて…」


「君が怖いなら、俺は待つよ」


「そんなんじゃないの。貴方なら貴方ならいいの…ただ、この年で何も無いなんて、恥ずかしくて…」


貴方は微笑んで急に私を抱き上げた。


「キャッ」


私はびっくりして彼の頭にしがみついた、そのままベッドに下ろされて、優しくキスをしてくれた。そして


「俺はめちゃめちゃ嬉しい…」


と言ってくれた。


「貴方の事が大好きなの…」


「俺も…」


(ずっと、貴方と一緒にいたい…)


 


 


 


 


 


 

第43話 泣けない葉菜

そして、俺は病魔に侵された自分の体とさよならをした。


葬儀やら、なんやらでバタバタする。葉菜は、泣く事はなかった。葬儀が終わり俺の遺骨が安置されるとその遺骨の前でずっと、座り込む日々が続いた。家族が心配して声をかけても、あまり反応がない、大樹が


「ママ、ご飯を食べなくちゃ」


と言うと、ようやく反応し、少しの食事をすると、また、無表情で仏間に座りこんでしまう。


 


「葉菜、もう泣いていいんだよ。五年間いっぱい我慢したね。思いっきり泣いて、俺の事は忘れていってくれ」


俺にはもう、君に伝える言葉も抱きしめる腕もない。


もどかしく思うばかりで、行くべき所に行けなくなってしまった。


 


納骨が住み、日常の生活は戻ってきた。葉菜は、車の免許を取り、役場の民生員も兼ねる哲と一緒に、介護士を続けた。


葉菜は泣かずに、頑張って大樹を育てていた。時に笑ったりもするが、いつも陰りがあって、何か違う…


 


いくつかの、夏が過ぎ、また、秋がやってくる。


大樹は中学生になっていた。葉菜は突然


「哲ちゃん、行きたい所があるの。ちょっと遠いけど、付き合ってくれる?」


「うん、いいよ」


「どこ行くの?僕も行きたい!」


「いいわ。ちょっと厚着してね」


「えぇ!まだ暑いよぉ」


「夜の海は冷えるから…」


その、真剣そうな葉菜の顔に大樹は黙った。


そして、また、あの海にやって来た。防波堤を登ると満月が映る海は、あの日と同じで海原に反射した。月明かりが波間でユラユラ揺れていた。


葉菜は、それを見ながらフラフラと砂浜を歩いて行った。その後ろを哲と大樹が心配そうに、着いていった。


海の近くまで、行くと葉菜は止まり、立ち尽くして


その海を見つめていた。


「何も、変わらない…あの日と同じよう…涼ちゃん、あなたと来た日と同じ…」


そう、つぶやいて…海を見ていた。

第42話 約束

 

それは、真夏の暑い日だった。俺は珍しく気分が良かった。葉菜に膝枕をしてもらい、濡れ縁に出て庭を見ていた。


軒先の風鈴が小さな風に揺れて


”チリリ~ン”


と涼しげな音を鳴らす。


大樹が、走って俺の前に来る。


「パパ!僕!蝉をとったよ!ホラ!」


汗まみれで、髪の毛まで汗でびっしょりだ。頬は紅潮し、目を輝かせて俺に蝉を見せびらかす。


俺は、その蝉を手にすると


「なんだ、この蝉。もうだいぶ、弱ってるじゃないか。落ちてるのを拾って来たな?」


「ヘヘッ」


照れ臭そうに、頭をかく大樹。


「もっと、元気なのを捕まえてパパに見せてくれよ」


「うん!わかった!」


走り去ろうとする大樹に


「あー大樹。帽子!帽子!あっちの家にあるから被って行って!ひとりで取りに行っちゃ駄目よぉ!」


「わかってるぅ~」


「もう、危なっかしくて…」


「俺に、ますます似てきた」


「口も達者になってきたしね!」


「言うなよ」


俺は笑いながら、庭を見た。今年も元気にひまわりが咲いている。


「暗くなってきたな…」


「えっ……?」


「もう、日暮れか?日が落ちるのが早くなったなぁ」


「まっ…まだ、お昼よ…」


「もうすぐ秋になる。葉菜…今年こそは、行かないか?」


「……どこへ?…」


「満月の海。約束しただろ?」


「う…うん」


 


”じゃあさ!今度の休みに車で出かけない?海へ!泳ぐにはもう遅いけど、まだ昼間は暑いくらいだから”


 


「ふふ…」


「なぁに?思い出し笑い?」


「うん…」



「やくそく…した…もん…な…··…」


「涼ちゃん?涼ちゃん……?りょ…………」


 


”チリ〜ン…”


 


 


 


 

第42話 約束

 

それは、真夏の暑い日だった。俺は珍しく気分が良かった。葉菜に膝枕をしてもらい、濡れ縁に出て庭を見ていた。


軒先の風鈴が小さな風に揺れて


”チリリ~ン”


と涼しげな音を鳴らす。


大樹が、走って俺の前に来る。


「パパ!僕!蝉をとったよ!ホラ!」


汗まみれで、髪の毛まで汗でびっしょりだ。頬は紅潮し、目を輝かせて俺に蝉を見せびらかす。


俺は、その蝉を手にすると


「なんだ、この蝉。もうだいぶ、弱ってるじゃないか。落ちてるのを拾って来たな?」


「ヘヘッ」


照れ臭そうに、頭をかく大樹。


「もっと、元気なのを捕まえてパパに見せてくれよ」


「うん!わかった!」


走り去ろうとする大樹に


「あー大樹。帽子!帽子!あっちの家にあるから被って行って!ひとりで取りに行っちゃ駄目よぉ!」


「わかってるぅ~」


「もう、危なっかしくて…」


「俺に、ますます似てきた」


「口も達者になってきたしね!」


「言うなよ」


俺は笑いながら、庭を見た。今年も元気にひまわりが咲いている。


「暗くなってきたな…」


「えっ……?」


「もう、日暮れか?日が落ちるのが早くなったなぁ」


「まっ…まだ、お昼よ…」


「もうすぐ秋になる。葉菜…今年こそは、行かないか?」


「……どこへ?…」


「満月の海。約束しただろ?」


「う…うん」


 


”じゃあさ!今度の休みに車で出かけない?海へ!泳ぐにはもう遅いけど、まだ昼間は暑いくらいだから”


 


「ふふ…」


「なぁに?思い出し笑い?」


「うん…」



「やくそく…した…もん…な…··…」


「涼ちゃん?涼ちゃん……?りょ…………」


 


”チリ〜ン…”


 


 


 


 

第41話 頼み

そんな日々の中、俺はどうしても、哲に伝えたい事があった。迷いに迷ったが、このまま死んでも悔いが残ると、意を決して誘った。


場所は母屋の二階の俺の部屋。葉菜が


「着いていこうか?」


と心配したが


「いや、いい…自分の足で行く!」


と断った。


俺は母屋の一階から、二階へと向かった。前は、二段飛びでも、登れたその階段は今の俺には一段一段が高い塀のようだった。手をつき息を切らしながら、必死に登りつめ、自分の部屋へと向かった。部屋に用意された座椅子に座る、激しい呼吸と動機を落ち着けながら哲を待った。


(思った以上に体力が落ちてるんだな…)


わかっていたが、少し辛かった。


間も無くして、哲が入ってくる。


「な…なんだよ…、わざわざ、こんなところでよぉ」


戸惑いながら座る。俺は部屋を見回しながら


「よく、ここで遊んだな…雨の日なんか、ドタバタ暴れて、いつも怒られた」


「そ…そうだったな…それで、何だよ…」


「お前に頼みがあって」


「頼み?!頼みって…ちょっちょっと、待って!」


「何だ?」


「少し、頭を冷やしてくる」


狼狽した哲は部屋を飛び出し下へと走って行った。外に出たらしく、


”キューキュー”


とポンプ式の井戸の音と水が出る音がした。


「きゃー、何してんだい哲!びしょ濡れじゃないか!」


「うん…おばちゃんごめん。タオル貸してくれる?」


「ほら」


そして、頭がびしょ濡れになった哲が部屋に帰ってきた。


「すまんな。俺、アホだから頭を冷やさないと、ちゃんと覚えておけないだろ?」


Tシャツまで濡れて、髪の毛からは、雫をぼとぼと落とし肩にタオルかけていた。


俺は息を吐くと


「置いていく方より、置いてかれる方のが辛いよな…」


「なっ何、言ってんだよ」


「俺が逆の立場だったら、耐えられない。葉菜や家族、お前にも辛い想いをさせている」


「そんな事ねぇって!それで?」


「お前………葉菜の事、好きだろ?」


付き合っていた理恵は結局、東京に憧れて行ってしまった。


「はぁ?何を!寝ぼけてんだ!んな訳ねぇし!どっどうして…そんな事を考えつくんだよ!馬鹿じゃねぇ」


といろいろ必死で抵抗する哲の顔を俺がジッと見つめると、観念したように下を向いた。


「お前に、何を言っても無駄か…ジャンケンすら勝てないもんな…」


と肩を落とした。


「わかってるよ。お前がいなくなったから葉菜ちゃんに手を出すとか絶対しないし、俺は、この家に来ないようにするから」


「逆だよ」


「はっ?」


「俺がいなくなっても、葉菜や大樹を守っていって欲しいんだ。そして、上手くいったら葉菜と一緒になって欲しい」


「お前!自分が何言ってるのか、わかってんのか!」


「ああ、わかってるよ」


「じゃあ、なんで!」


「俺が病気になってから、無くなったものがあるんだ」


「無くなったものって?」


「未来」


「未来って…」


「俺が病気になる前は


”年を取って禿げたらどうしよう”


”私も、きっと太るわね!頑張って維持しなきゃ”


とか、二人で一緒に年を取っていくのを疑わずに話してたんだ。でも、病気になってからは無くなった」


「そんな、お前はまだ、生きてるし、まだ、わかんないだろ!」


「今を大事に生きてく事。それで精一杯だ」


「…………」


「だからさ、お前に葉菜と一緒に年を取って行って欲しいんだ」


「何言ってんだ!大樹もここの家族もいるだろ!」


「………夫婦って、特別なもんだと、俺は思うんだ」


「特別って?」


「赤の他人が出会って、結婚して、いろんな喜びや苦労を同じ目線で同じ高さで見つめて乗り越えて、やがて一緒に年をとっていく。父さん母さん、孝兄とすみねぇを見てると思うんだ。その特別な存在に俺はなりたかった…」


少し泣きそうだったのをこらえた。


「でも、無理だ。だから、その特別な存在にお前になって欲しいだ」


「そんな事を言って!葉菜ちゃんの気持ちもあるし、周りの人間だって、お前の嫁を俺が貰うなんて、許されないだろ!」


「うん…その通りだ。でも、時が流れて、いろんな事が変わっていけば、人の気持ちも変わってくるだろ」


「そっそんな…」


「わかってるよ。これは、俺のひとりよがりの我儘だって…でも、頼まずにいられなかったんだ」


「どうして?」


「安心したかったんだ」


「安心?」


「葉菜を置いて、先に逝くのがどうしても心残りで…せめて誰か俺の変わりに守ってくれる人がいたらと…」


「それで、お前は安心できるのか?」


「うん」


「じゃあ…俺は、葉菜ちゃんと、どうこうなるとかは、考えないけど、今まで通り見守って、出来る事があるなら手伝うし、お前が言うように、そういう時がくるなら、そうする。それでいいか?」


「頼む」


「馬鹿な事を心配しやがって…」


「まぁな…はあ〜」


「どうした?具合が悪くなったか?」


「ん、少し疲れたな。でも、それより話して気が楽になった」


「そ…そうか…それならいいが…。葉菜ちゃんを呼んで来ようか?」


「ありがとう。そうしてくれる…」


哲は、凄い勢いで下へ向かい葉菜を呼びに行った。暫くして、パタパタと走る音がして、葉菜が来た。


「大丈夫?」


「うん…大丈夫」


「何を話したの?」


「男と男の約束だ内緒」


「まあ、ケチね!」


「ふふ…」


「今日は、もうここで寝る?」


「ん、そうする」


葉菜は布団を敷いて俺を寝かせてくれた。


その日を境に俺は寝たきりの生活になった。母屋の一階に居を移し、誰かしら、いつも俺の側にいた。