第40話 五年の歳月

そして、五年の歳月が経った。俺は葉菜の奇跡で、入退院を繰り返しながらも、医者も驚くほどの生命力で生きながらえていた。


生まれた子供は男の子だった。名前は生まれる前から性別を聞いて、散々考えた挙句


『大樹(たいき)』


と名付けた。太く逞しく大きな樹のように健康で元気に育って欲しいと言う願いを込めた。


ひ孫に会いに、近藤と奥瀬の人たちもやってきて、大喜びだった。俺に激励をして帰って行った。


五年の間に、ばあちゃんが先に逝った。


「茂樹、病気を治して長生きするんだよ」


と叔父と俺を混同するように声をかけ、眠りについた。


その間にも、確実に病魔は俺を蝕んでいったが、俺は息子と、散歩したり、外で遊んだり、できるだけ相手をしていた。俺を覚えていてくれるように…


哲や家族が常に俺や葉菜を助けてくれた。葉菜は、介護士の資格を取り、仕事も始めた。ずっと俺についていたい気持ちもあるだろうが、先を考え、頑張っていた。


そして、俺は一日の大半を床に伏す日々になっていた。大樹はいたずら盛りの五歳になっていた。


「キャー、大樹!何て事!してくれたのよぉ!」


玄関から葉菜の声が響く。大樹が走ってきて、俺の布団に潜り込む、俺の小さい頃にそっくりだ。


「何だ?また、何かやらかしたのか?」


俺が苦笑いで大樹に聞くとイタズラな顔で


「エヘヘ……あっ!シー」


と俺の胸に顔を埋めた。泣きたくなるくらい可愛いくて、ちっさくて、温かい俺の分身の鼓動が伝わってくる。俺は頭を撫でて見つめていた。


俺は大樹を怒った事がない。俺の笑った顔だけ覚えていて欲しかった。それを知っている大樹は、葉菜に怒られるとすぐ、俺の側に寄ってくる。暫くして、葉菜がやって来た。


「もお~大樹ったら、またパパのとこね!」


両手を腰に当てて、すっかり母親の貫禄だ。


「また、何かやらかしたの?」


「玄関の横の壁に、クレヨンで落書きしたのよ!」


「あはは」


「笑い事じゃないわよ。消すの大変だったんだからぁ!ほら、大樹!出てきなさい!」


「寝てるよ」


大樹は、俺の布団の中で、いつの間にか、すぅすぅ眠ってしまっていた。


「起きたらお仕置きよ!」


 


俺達は「今」を精一杯、大事にしてきた。悲しい涙は流さず、今、この瞬間を笑って過ごせるように。ある筈の無かった幸せをひとこま、ひとこま、残しておけるように、いつ死んでも悔いのないように…


それでも、夜、眠ろうとすると不安が俺を襲う時がある。


(このまま、眠ったら、もう目が覚めないんじゃないだろうか…)


そんな不安な俺の気持ちを葉菜は察するのか、側にやってくる。そして、俺の手をそっと握ると


「大丈夫よ。目が覚めた時も、ここにいるから」


そう言われると、俺は安心して君の手の温もりを感じながら眠りに落ちる。





 


 


 


 


 

第39話 祝言

   二週間の間に俺は、転院先の病院に行ったり、連絡してなかった、岩下に電話をしたり、後、少しでも収入をとパソコンで副業も始めた。


と葉菜は、


「そんなに、無理しなくても…」


と心配したが、


「多少の貯金は貯めてきたけど、まったく、無収入ってわけにはいかないよ。病院にも行くし、子供が産まれたら金はいる。俺は父親になるんだぜ」


「まぁ…それもそうだけど…とにかく、無理しないでね」


「わかってるって」


そして、あっという間に、二週間が経ち、いよいよ


祝言の日』


となった。俺の田舎では、結婚式とは言わない。祝言と言う言葉が相応しい。


と言っても、俺たちはお披露目だけをする事にした。


婚姻届は、前日に出した。葉菜は


「酒井 葉菜」


となった。それだけでも俺は充分嬉しくて始終、ご機嫌で役場に提出する時は、哲にニヤニヤ笑われた。


そして、当日となった。


「りょ〜お〜!出来たわよぉ〜!」


袴姿の俺は慌てて見に行く、一緒にいた親父達も来る。


襖を開けると、白無垢に着替え椅子に座る葉菜がいた。


まるで、不可触の女神だった。神々しくて、触ることすら出来ない俺の女神が座っていた。


俺は言葉をなくして、ボーっと見ていた。


「ほら、涼!何か言ってあげなさいよ」


「あっ…葉菜。とても綺麗だよ…」


「葉菜ちゃんは、元も綺麗だから映えるなぁ」


「はなちゃん!きれい〜おにんぎょうさんみたいよ」


「わたしも、はやくおとなになって、きたーい!」


「駄目だ!まゆもゆりも、そんなに早く行かなくていい。」


考兄が慌てて、二人を抱きしめる。すみねぇが


「もお、そんな事を言ってたら、お嫁に行けなくなっちゃうわよ」


と涙を拭いて、三人を見つめてた。


「葉菜ちゃん、涼平、おめでとう。幸せになるんだよ」


「あの…みなさん」


目に涙を貯めた葉菜が椅子から立ち上がり、ゆっくり座り手をつく、その姿にみんな慌てて座る。


「いろいろ、お世話になり、本当にありがとうございます。どうか、これからもよろしくお願いします」


と頭を深く下げた。オカンは涙を浮かべながら


「葉菜ちゃん。こちらこそ、こんな田舎にお嫁に来てくれてありがとう」


と同じく手を着いて頭を下げ答えた。


「さぁ、みんな待ってるから写真をとって、お披露目しましょ!」


俺達は、写真を撮り、祝宴の席に着いた。ひととおりの挨拶を済ませ。宴となった。


しかし、何だか変だ。


(何だろう……)


妙な雰囲気に、ハッとした。


(くんくん…酒の匂いがしない!)


目の前で日本酒の瓶から酒は注いでるが、酒の匂いがしない!俺はお膳を思い切り


”バン”と叩いた。


シーーーンとなる、一同


「何を考えてるんだか!わからんが、いくら俺が病気だからって!こんな茶番に付き合わされるのは、ごめんだ!」


「なっ…何を言ってるんだ?涼平…」


「酒の匂いがしねぇんだよ!狸おやじ達め!」


俺は一同をジロっと見た。


「それに、タケさん!そのビール…!泡がたってないぜ」


「あぁ…!タケさん。だから、ノンアルにしろって言っただろぉ」


「うるせーあんな、まがい物を飲むくらいなら、烏龍茶を飲んでた方がマシだ!」


この村の年寄りは、安定しない農業を汗しながら作物を育てたり、少ない年金で暮らしている者も多い。その少ない収入で御祝儀も持ってきてくれている。


「母さん。いいかい?」


「もちろんだよ!」


「健!悪いが仕事だ」


出席していた健に声をかける


「まいど!しょーばい!しょーばい!」


「お前なら、この狸おやじ達が飲む酒の量がわかるだろ?」


「当たり前だ。全部、把握済みだ」


「じゃあ、その量を今から、持って来てくれないか?」


「了解!あざっす!これで、涼兄の為に仕入れた祝いの酒も無駄にならずに済む」


「祝いの酒って!やっぱりお前、アレ!」


タケさんが立ち上がる。


「はっはーん!親父やっぱり、気づいてたか」


「当たり前だろ!あんな上物、滅多な事じゃ口に出来ねぇ」


「残念ながら、アレを出したら、お袋もついて来るぜ」


「あっあぁぁ~」


へたり込む、タケさんを見て、みんな大笑いだった。


「じゃあ、あんた達はお酒が来るまで、着替えちゃいな」


「うん、そうする」


俺達は着替え、酒が届いたので、また、祝宴の席に戻った。


健が木箱に入った酒を持って近寄ってきた。


「あっ…あの、涼兄、少しくらならいいかな?」


「うん、大丈夫だ」


「そうか!これは、俺からのお祝いだ」


健は、大事そうに木箱を開け、中から日本酒の瓶を出した。


「こっこれは、中々のもんで、日本酒が苦手な涼兄だってきっと、飲めるよ」


「ほんとか?じゃあ、健。お前が酌をしてくれよ」


「いいのか?」


「ああ、頼む」


俺は盃を出す。健が溢さないように酒を注ぎ入れる。俺は、それをゆっくり飲み干す。


「美味い!」


「ほんと!」


「うん、この酒を飲んでたら、俺も日本酒好きになってたかもな!」


「にっ日本酒は奥が深いだろ。俺もいっぱい勉強してるんだ。涼兄に認められて嬉しい!」


健は涙を拭いながら、嬉しそうな顔をした。


「うん、明日からでも店主になれるな」


「うぉい!それは、まだちょっと…」


タケさんが叫び立ち上がる。周りから、ドっと笑いが沸き起こり、またなごやかな雰囲気になる。


「じゃあ、みんなにも配るから、少しだけど飲んでくれ!」


「おお!待ってましたー!」


そして、いつもの村の宴会風景となった。


おかんもホッとした顔をして


「もう、そろそろいいだろ。あんた達は奥に行きな」


「そうする」


俺は、みんなに挨拶をして、葉菜とその場から抜けた。


「ああ〜疲れたぁ〜」


「大丈夫?顔色悪いわ」


「ん、疲れただけさ家に帰って寝る」


「そうしなさい」


「うん、いろいろ、ありがとう」


「ああ、いいよ。こっちこそ無理させて悪かったね」


「いいさ、俺も嬉しかった」


そして、俺達は自分達の離れに帰った。二人とも疲れていたので、そのまま眠ってしまった。


 


 


 


 


 


 


 


 

第38話 家族

     夕飯を食べに、母屋へと向かった。流石にこんな体で帰ってきて、家に入りずらい…

しかし、葉菜がさっさと開けて入っていく。

「ただいまぁ」

すっかり、家に慣れてる様子。声を聞きつけた。姪っ子達が

「あーりょうちゃん!やっときたぁ〜」

「おかえりい〜」

と元気に迎えてくれた。何もわからない子供達の声に逆に救われた。

「はなちゃんが、ずっと、まってたんだよぉ」

「ほんとか!まゆとゆりも待ってたか?」

「うん!まってた。まってた!はやくはやく!なかにおいで!」

俺の腕を引っ張ると、居間へと連れて行った。中に入るといきなり

「おっせぇーよぉ!俺、腹減ってお腹と背中がひっつくかと思ったぜ!」

哲が叫ぶ。

「あっ!わりぃ、わりぃ!」

「親父さんは。しくって、落ち込んでるしよぉ」

「悪かったよぉ…つい口が滑っちゃたんだ…」

ちっちゃくなる親父

「もう、お父さん、こう言う事は夫婦で話してからだろ」

「そうよぉ、

”貴方、子供ができたのよ”  ってねぇ」

「何言ってんだ。澄香なんか、俺より先にお袋にペラペラ喋ってたじゃないか」

「あっ!そうだっけ…アハハァ。あっ涼!ご飯ご飯、子供達は食べさせたけど、みんな待ってたから」

「うん、ありがとう。お待たせしてゴメン」

変わらない態度で俺に接してくれる家族。

「あっ料理、冷めちゃったわね。温めなおさなきゃ」

「はい」

と返事をして、葉菜が冷めた料理を運ぼうとする

「やめろ葉菜!重いもの持ってお腹にさわったらどうするんだよぉ」

「重い物って…」

「ほら、妊娠中は重い物を、持っちゃいけないって言うじゃないか!」

「そんなに重くないわよぉ」

「そうよ!それに、動かないとかえって産む時、大変になるのよ!」

「葉菜は、すみねぇみたいに頑丈じゃないんだよ!」

「失礼ね!今からそんなに、親馬鹿っぷりで、先が思いやられるわよ」

「そんな事を言っても、なぁ葉菜」

「もお〜涼ちゃん!うるさい!」

すっかり強くなった葉菜に怒られて、俺は諦めて座る。

出された料理は俺の体を考えての食事だった。俺だけ特別でもなく、みんな何事もないように、ガヤガヤしながら食べている。そんな何気に気を使ってくれてるのも、嬉しかった。俺は久しぶりに美味しく飯を食べて、食後のお茶を飲んでいた。

「そんで、あんたたち、式はいつにする?」

「またか!前も言っただろぉ!式はやんないって…」

そこで、オカンが

”バンッ!”  と机を叩いた

「それは、駄目だよ!都会では、いいかもしれないけど!ここでは駄目だ」

俺はびっくりしたが、すぐ気づいた。

(そうだ、こんな田舎では大事なのは、入籍よりも、むしろちゃんと「お嫁に来ました」と言うお披露目をする事だった。特に他所から来た葉菜は、ちゃんとそういう場で紹介しないといつまでも他所者だ)

「ごめん、母さん…」

「わかりゃ、いいんだよ。ウチで簡単にやればいいんだから、それにね、ほら、こっちに来てごらん」

「うん…?」

奥へと連れて行かれた。みんなもニヤニヤして、着いてきた。

「見てごらん」

襖を開けると、そこには、白無垢が掛けられていた。

「あっ…これ…」

「向こうのおじいちゃんとおばあちゃんがね。娘…に彩に着せてやりたかったって、送ってくれたんだよ。だからね、ちゃんと着せて写真も撮って、送ってあげなきゃね」

「うん…これを葉菜が着るのか…綺麗だろうな」

その白無垢は、まるで別世界にあるように綺麗で、俺はそれを、ぼぉっとして、見ていた。

「ふふん、着付けは、私とお母さんで、ちゃんとお腹に負担がかからないようにやるわ。でも、流石に髪型はねぇ。カツラになるし美容師さんに頼むわ!あっ化粧も私で良ければバッチリよ」

そう言うすみねぇの顔を、ジッと見て、葉菜の方に向き直し

「葉菜、やっぱり化粧も美容師さんに頼もう」

「何よ!私だって日夜、週刊誌でちゃんとメイクの勉強はしてるのよ!」

「そうだ、澄香が化粧すると他人といる気がするくらいだ」

「ちゃっと、パパ!それったら褒めてのけなしてるの!」

「あっ…いやいや、その…」

俺はその様子に声をあげて笑った。

「じゃあ、涼、いいね」

「うん」

「葉菜ちゃんもお腹が大きくなるから早い方がいい、二週間のうちどうだい?」

「うん、それでいいよ」

「じゃあ、明日、吉日を選んで決めよ」


 

「あの…みんな、こんな体で帰って来て世話をかけちゃうけど、葉菜共々、よろしくお願いします」

と深く頭を下げた。

「なっなっ!突然…!改まって何を言い出すんだんよぉ…」

哲が、今にも泣きそうな顔を慌てて隠して叫ぶ

「だって、そこは、ちゃんと言わなきゃいけないだろ?」

「そうだな、涼平、大人になったな。俺達は家族だ。出来るだけの事はする」

考兄が肩を叩いて、そう言ってくれた。

「婚姻届は、俺に任せとけ!」

「何?お前が書くの」

「んな訳ねぇだろ!役場から持ってきてやるって事だよ。記入は、自分でやれよ」

「わかってるって!あはは」

「まったく、こいつの口の減らねぇのは、ちっとも変わらん!」

「そうよねぇ、でも、それが涼よね」

「さぁ、もう夜も遅い!もう寝よう」

親父は大分、興奮して疲れたらしく、目が眠そうだ。

「うん、おやすみ」

「おやすみなさい」

葉菜も頭を下げる。

「おい、涼平!」

「なっ何?」

「そっちじゃないだろ!」

「あっ!」

俺は、つい自分の部屋に行こうと階段に向かっていた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 

第37話 まさか!

 親父は、泣き伏す俺を見て、照れくさくなったのか慌てて、後ろを向いて

「あっああ!トイレは無くちゃ住めないから、何とかしたが、まだ、台所とか風呂が使えなくって、悪いな。工事をするから、昼間は、音がうるさくなるから、母屋に居ればいい」

「い…いや!そこまでは、いいよ。水場は大変だ!金もかかるし、母屋に行けば、何とかなるだろ?」

「それじゃあ駄目だ!ちゃんと親子三人、暮らせるようにしないと!」

「はっ?何言ってんだ父さん、流石にそれは、無理だよ」

親父の後ろ姿が、いきなり、

ビクッ!とした。

「あっああ…?はぁ〜…そうだな…あっ、そろそろ晩飯だ!行かなきゃな…!涼達も早く来いよ」

と不自然に切り上げて、家から出て行ってしまった。

残された俺は、訳がわからず、葉菜の顔を見た。

その表情は、ちょっと困ったような笑みを浮かべていた。

「あっ…あの…?親父なんか変な事を言ってなかった?ハハ…」

俺はおそるおそる葉菜を見つめて聞いた。葉菜は、俺の右手を取り、そっと自分のお腹に上に置いた。

少しふっくらとした葉菜のお腹。

「その…まっまさか!」

「もうすぐ、五ヶ月になるのよ」

「俺の…子…?」

「いやぁねぇ!それ以外、誰がいるのよ!」

確かに、俺達はいつも一緒で、身に覚えもある。

でも、まさか!

「そんな、大事な時に!知らなかったとは言え。俺…俺…葉菜、ごめん。大丈夫だった?」

「大丈夫よ。あなたに別れを告げられた時も、何となく気づいてて、だから、悲しくても、この子がお腹にいる。

”ママ頑張って”って言ってくれてる、だから私、ひとりでもこの子を産むつもりだったわ」

「そんな!ひとりなんて!」

「さっきも、言ったでしょ?私は、パパとママの子なのよ。ちょっとやそっとの事じゃ負けないわって」

「俺…生きなくちゃな。この子の顔が見たい!」

「そうよ、パパ」

「パパ?!」

聞き慣れた、その言葉はいつも、他人事で俺に向けられたものではなかった。

「俺…パパになるんだな」

「そうよ」

そう言って、葉菜が俺の頬にキスをした。

「大好きよ。涼ちゃん。貴方の子をちゃんと産むから、頑張って」

いつも、甘えん坊な葉菜が、俺より大人に見える。母親になる自信からなのか、輝いて見えた。

俺はこんな状態なのに、今までに感じた事のない幸せを噛み締めていた。

「あっ…そろそろ…飯に行かなくちゃな!ちゃんと食べなくちゃ」

ここのところ、食欲もほとんど無かった。

俺の中で、ムクムクと


生きる!


力が湧いてくるのを感じた。


 


 


 


 


 

第36話 父さん

どれくらい寝ただろう。久しぶりに、いい夢を見て目が覚めた。葉菜もいつの間にか眠ってたらしい、起きた俺に気づいて、目を覚ます前と変わらずの笑顔で

「調子はどう?」

と聞いてきた。

「絶好調!」

昨日までの重さが、嘘みたいに無くなっていた。もちろん、病気が治った訳ではない。葉菜が側にいるだけで、俺は心の重さから解放された。

そこへ、玄関をドンドンと叩く音がした

「こりゃ、インターホンもつけないと駄目だなぁ…」

親父だ!

「りょーう、起きてるかぁ…」

少し、遠慮がちながらも、俺を呼ぶ。

「開けてくるわね」

「うん」

葉菜が立ち上がり、玄関に向かった。

親父が部屋に入ってきた。

「邪魔して悪いな…」

「とんでもない!すぐお礼を言わなきゃいけなかったのに」

「どうだ?家は?」

「うん、気に入った。最高だよ!父さんありがとう」

「そうか、そうか」

目尻を下げ、満足そうだった。

「父さん一人でやった訳じゃない。孝平も哲も健も、まだ他にも沢山の人が手伝ってくれた」

「そうでなきゃ、こんなに早くは出来ないよ。それより、父さん。大事な商売道具の手を怪我でもしたら、どうするんだよ」

「そんな事、気にしなくてもいい。そもそも、お前がいなけりゃ。父さんは、彫り師なんて肩書きは無かったんだから…」

「俺?俺が何したのさ?」

「じいさんばあさんが、父さんの愚痴を飯時に言ってたのは覚えてるか?」

「あっうん…」

”せっかく、婿養子が来て男手が増えたのに、目を離すと、こそこそ木ばっかりいじりまわしてやがって…”

”ああ、農業はからっきしなのにねぇ”

「でも、それは、親父の木彫りが賞を取ってから無くなっただろ?」

「違うだろ」

「違うって…?」

「ある晩の話だ。じいさんばあさんが、いつもの様に、父さんの愚痴を飯時に言ってたら、お前が」

「俺が?」

「そう、お前が

”うるさいなぁ、父ちゃんの木彫りは、昆虫とかロボットとか、絶妙なんだぜ!友達に見せびらかすと羨ましがられるんだ。僕の自慢なんだから!あーだーこーだ言うのやめてくんない!”

って、そして孝平も

”俺も同じ意見だな。父さんの木彫りは凄いよ。俺も自慢だった。俺も、もうすぐ、高校を卒業して農業は手伝うから、父さんには、木彫りを続けて欲しいな”


って」

「ああ!それで、じいちゃんばあちゃんの愚痴が無くなって、木彫りに専念できたんだ!」

「それも、ひとつの理由だが、それじゃあない」

「じゃあ、なんだよ?」

「父さんが気にしてたのは、二人の息子がどう思ってるのかだ。」

「えっ?」

「入り婿のくせに裏でコソコソ隠れるように木彫をして、農業の方はからっきし出来ない、そんな情けない親父を二人の息子がどう思っているのか、父さんはいつも、気にしてたんだ。しかし、お前と孝平が、そう言ってくれて

”ああ、俺は彫ってもいいんだな”

って、ようやく真剣に取り組む事ができたんだ。農業もしっかり、頑張りながら」

「そっ、そうだったの?全然覚えてない」

「だろうな、お陰で、いい作品が出来て、それを展覧会に出したら賞を取れたんだよ。だから、父さんが木彫り師なんて言ってられるのはお前のお陰なんだよ。」


 「だからな、この腕の一本や二本無くなったって、いいんだよ」


「うん、でも…」


「腕だけじゃない!命だってくれてやる!」


 

「だから…涼平


 


 「生きろ!」


 俺の涙腺は、また、崩壊した。






 


 


 


 


 

第35話 我が家

  暫くして、後ろから

「ほら、疲れるから家に入りなさい」

鼻声のオカンの声がした。そして、カタカタと足音をさせて慌てて、家に入って行った。

俺は葉菜の顔を改めて見て、手を繋ぎ母屋に行こうとすると

「違うわ、こっちよ」

と言って、昔の横屋の前に連れて行かれた。ボロボロだった家の壁は綺麗に塗り直され、木枠のガラス戸も全部サッシに変わっていた。

「ここ…」

「お父さんや、みんなが手伝ってくれて…ここに住みなさいって」

俺達は中に入った。家の中も傷んだ部分がちゃんと補修され、部屋からは新しい畳の香りがした。

そして、別々だった葉菜と俺の部屋の家具、荷物が一緒に置かれていた。ほんのちょっと前まで、その風景を想像して、部屋を探していた。 

そして、病気になった事で一瞬にして、その夢が消えた。

でも、それが今現実になって、目の前にあった。

「………俺達の部屋なんだな…」

ずっと、ふたりの部屋に一緒に帰りたかった。

「私達の我が家よ」

また、嬉しさで涙が溢れてきた。

 「あっ…葉菜はどうやって…ここへ…」

「とにかく、座りましょ」

「うん」

葉菜の部屋にあった、ふたりがけの座椅子に、久しぶりにふたりして座った。

「お母さんがね…来てくれたの」

「どうやって?あっ!」

「そう、貴方の車で履歴から来たって…」

「慣れない都会の道を危ない…」

「うん、私もびっくりしたわ…」

「それで?」

「葉菜ちゃんは、どうしたいの?って」

「君はなんて?」

「もちろん、私は、何があっても涼ちゃんと、ずっと一緒にいたいと答えたわ。そしたらお母さんが手をついて

”じゃあ、ウチに来ておくれでないか?あの子が言ってる事もわかるんだよ。

”葉菜を不幸にしたくない” 

その気持ちが………。でも、親の私でも駄目なんだよ。葉菜ちゃん、あなたでなきゃ…!あなたでなきゃ、涼平は支えられない。これは、あたしの…母親の我が儘だってわかってる!

でも、でも、葉菜ちゃん、お願いだから、ウチにお嫁に来ておくれ”

って」

「母さん…」

「それで、私も手をついてお願いしたわ。

”ふつつかものですが、どうぞ、お嫁にもらってください。よろしくお願いします”

って…」

「ありがとう。葉菜、結局、こんな事になって…」

「ねぇ…私のパパもママもあんな無謀な事までして、ふたり一緒になったのよ。私だってふたりの娘だもの、負けないわ。だから、謝ったりしないで、言ったでしょ?あなたと一緒にいるだけで、幸せよって…」

「あっ!パパとママ…向こうの実家には……」

(こんな男の所に来る事になって申し訳ない!)

「もちろん、すぐに連絡したわ。パパとママの遺品の事もあるし」

(そう言えば、あの部屋にあった。両親の部屋の物がない)

「徹さんの案内で、おじいちゃん、ふたりのおばあちゃんと祐一さんが、私のアパートに来て、パパとママの遺品を整理して、持って帰って行ったわ」

「そっ…それで、何て…」

葉菜は俺の両手を握った。

「おじいちゃんが代表で、あなたに伝えてって

”あの日…二人の孫が帰って来てくれた。そして、わしらの長く暗い、出口のないトンネルに光が見えて、そこから、ようやくに抜け出る事ができた…”」

「二人の孫?」

「そう、

”あの日から涼平君も、うちの孫だ。家族だ。出来る事があれば、何でも力になる。連絡して来て欲しい"

って…」

俺は感謝で言葉にならなかった。


「さあ、もう疲れたでしょ?少し寝た方がいいわ。布団を敷く?」

「布団はいいよ。このまま君にもたれ掛かってていい?」

「ええ」


俺は、葉菜に肩に頭をのせた。いつもは、葉菜が甘えてきてたが、今日は俺が甘えたかった。

たった一ヶ月離れていただけだ。でも、離れていたからこそ、君の暖かさ優しさがわかる。響き合う鼓動が感じられる安心感。


長いこと、眠れて無かったような気がする。君のいる、我が家で、俺は病気の事を忘れ安心して眠った。




 


 


 


 

第34話 奇跡

実家に辿り着く。俺は車から降りて、ぼぉっとしながら母屋に向かって行くと、チロが変わらず喜んでシッポをブンブン振りながら、待っていた。

「チロ、ただいま…」

チロを撫でていると、ガラっと引き戸が開いて誰かが出てきた。

(ああ…母さんか…)

と顔を上げると、

(?!)

そこには、葉菜がいた!

俺に駆け寄ってくると

「あの…あの…ごめんなさい!涼ちゃんの言う事もわかるの!あの…そう!涼ちゃんと出会ってから私には沢山の奇跡が起こったのよ!だから私も涼ちゃんに奇跡を起こしたいの!ふたりで居れば、奇跡も起こるかもしれない!だから…あの…」

畳み掛けるように必死に何とか俺を説得しようとする。

俺は黙って葉菜の顔を見つめ、震える手を伸ばし肩を引き寄せ、抱きしめた。


 

「奇跡なら…奇跡なら…もう起きた!」


 

「奇跡は、もうここにある!!」


 

涙が一気に溢れ出た。

淡々と過ごしたなんて、嘘だ!心の中は、どす黒く淀んでいた。部屋に残る君の残像、残り香。それを想うたびに、どれだけ、後悔したかわからない。

君の所に飛んで行って土下座してでも

「最後まで、一緒にいて欲しい!」

何度、叫びたいと思ったか!

携帯から消した、情報もアドレスも番号も、指が心が…覚えていた。打ち直しては通話も送信も押せず、気絶するように眠っていた。目覚めると充電がなくなって、画面が真っ黒になった携帯が横に転がっていた。

(葉菜……君に会いたい…)

心が引き裂かれるようだった。

君といられるなら実家でなくても良かった。東京でも、地獄の底でも…。


 

「愛してる…」


 

葉菜が腕の中で小さく、びくっとした。


今まで一度も告げた事は無かった。でも、今はその言葉しか浮かばなかった。


 

「愛してる…葉菜」


 

「私も、愛してる。涼ちゃん、愛してる」


まだ、別れてから一ヶ月しか経っていない。でも懐かしくて…狂おしいほどに愛しい君の香り、温もり、もう離したくない


 

愛したのが君で良かった!


 

愛してくれたのが君でよかった!


 

今、この瞬間に死んでも悔いは無かった。


 

俺は腕の中にある奇跡を離さないように、ぎゅっと抱きしめた。