第41話 頼み

そんな日々の中、俺はどうしても、哲に伝えたい事があった。迷いに迷ったが、このまま死んでも悔いが残ると、意を決して誘った。


場所は母屋の二階の俺の部屋。葉菜が


「着いていこうか?」


と心配したが


「いや、いい…自分の足で行く!」


と断った。


俺は母屋の一階から、二階へと向かった。前は、二段飛びでも、登れたその階段は今の俺には一段一段が高い塀のようだった。手をつき息を切らしながら、必死に登りつめ、自分の部屋へと向かった。部屋に用意された座椅子に座る、激しい呼吸と動機を落ち着けながら哲を待った。


(思った以上に体力が落ちてるんだな…)


わかっていたが、少し辛かった。


間も無くして、哲が入ってくる。


「な…なんだよ…、わざわざ、こんなところでよぉ」


戸惑いながら座る。俺は部屋を見回しながら


「よく、ここで遊んだな…雨の日なんか、ドタバタ暴れて、いつも怒られた」


「そ…そうだったな…それで、何だよ…」


「お前に頼みがあって」


「頼み?!頼みって…ちょっちょっと、待って!」


「何だ?」


「少し、頭を冷やしてくる」


狼狽した哲は部屋を飛び出し下へと走って行った。外に出たらしく、


”キューキュー”


とポンプ式の井戸の音と水が出る音がした。


「きゃー、何してんだい哲!びしょ濡れじゃないか!」


「うん…おばちゃんごめん。タオル貸してくれる?」


「ほら」


そして、頭がびしょ濡れになった哲が部屋に帰ってきた。


「すまんな。俺、アホだから頭を冷やさないと、ちゃんと覚えておけないだろ?」


Tシャツまで濡れて、髪の毛からは、雫をぼとぼと落とし肩にタオルかけていた。


俺は息を吐くと


「置いていく方より、置いてかれる方のが辛いよな…」


「なっ何、言ってんだよ」


「俺が逆の立場だったら、耐えられない。葉菜や家族、お前にも辛い想いをさせている」


「そんな事ねぇって!それで?」


「お前………葉菜の事、好きだろ?」


付き合っていた理恵は結局、東京に憧れて行ってしまった。


「はぁ?何を!寝ぼけてんだ!んな訳ねぇし!どっどうして…そんな事を考えつくんだよ!馬鹿じゃねぇ」


といろいろ必死で抵抗する哲の顔を俺がジッと見つめると、観念したように下を向いた。


「お前に、何を言っても無駄か…ジャンケンすら勝てないもんな…」


と肩を落とした。


「わかってるよ。お前がいなくなったから葉菜ちゃんに手を出すとか絶対しないし、俺は、この家に来ないようにするから」


「逆だよ」


「はっ?」


「俺がいなくなっても、葉菜や大樹を守っていって欲しいんだ。そして、上手くいったら葉菜と一緒になって欲しい」


「お前!自分が何言ってるのか、わかってんのか!」


「ああ、わかってるよ」


「じゃあ、なんで!」


「俺が病気になってから、無くなったものがあるんだ」


「無くなったものって?」


「未来」


「未来って…」


「俺が病気になる前は


”年を取って禿げたらどうしよう”


”私も、きっと太るわね!頑張って維持しなきゃ”


とか、二人で一緒に年を取っていくのを疑わずに話してたんだ。でも、病気になってからは無くなった」


「そんな、お前はまだ、生きてるし、まだ、わかんないだろ!」


「今を大事に生きてく事。それで精一杯だ」


「…………」


「だからさ、お前に葉菜と一緒に年を取って行って欲しいんだ」


「何言ってんだ!大樹もここの家族もいるだろ!」


「………夫婦って、特別なもんだと、俺は思うんだ」


「特別って?」


「赤の他人が出会って、結婚して、いろんな喜びや苦労を同じ目線で同じ高さで見つめて乗り越えて、やがて一緒に年をとっていく。父さん母さん、孝兄とすみねぇを見てると思うんだ。その特別な存在に俺はなりたかった…」


少し泣きそうだったのをこらえた。


「でも、無理だ。だから、その特別な存在にお前になって欲しいだ」


「そんな事を言って!葉菜ちゃんの気持ちもあるし、周りの人間だって、お前の嫁を俺が貰うなんて、許されないだろ!」


「うん…その通りだ。でも、時が流れて、いろんな事が変わっていけば、人の気持ちも変わってくるだろ」


「そっそんな…」


「わかってるよ。これは、俺のひとりよがりの我儘だって…でも、頼まずにいられなかったんだ」


「どうして?」


「安心したかったんだ」


「安心?」


「葉菜を置いて、先に逝くのがどうしても心残りで…せめて誰か俺の変わりに守ってくれる人がいたらと…」


「それで、お前は安心できるのか?」


「うん」


「じゃあ…俺は、葉菜ちゃんと、どうこうなるとかは、考えないけど、今まで通り見守って、出来る事があるなら手伝うし、お前が言うように、そういう時がくるなら、そうする。それでいいか?」


「頼む」


「馬鹿な事を心配しやがって…」


「まぁな…はあ〜」


「どうした?具合が悪くなったか?」


「ん、少し疲れたな。でも、それより話して気が楽になった」


「そ…そうか…それならいいが…。葉菜ちゃんを呼んで来ようか?」


「ありがとう。そうしてくれる…」


哲は、凄い勢いで下へ向かい葉菜を呼びに行った。暫くして、パタパタと走る音がして、葉菜が来た。


「大丈夫?」


「うん…大丈夫」


「何を話したの?」


「男と男の約束だ内緒」


「まあ、ケチね!」


「ふふ…」


「今日は、もうここで寝る?」


「ん、そうする」


葉菜は布団を敷いて俺を寝かせてくれた。


その日を境に俺は寝たきりの生活になった。母屋の一階に居を移し、誰かしら、いつも俺の側にいた。