第32話 岩下との再会

そして既に真夏の暑い季節になっていた。東京の街中を不動産屋に向かおうと葉菜と歩いていた。

向こうから、人混みに紛れ懐かしい顔…

「岩下だ!」

スーツも前よりいいものをバリッと着て、土曜日。休日出勤か?忙しくやってんだな。

俺は鼓動が激しくなり、冷や汗が出てきた。

(もう、昔の事だ。早く行き過ぎてくれ!)

そう、固くなりながら目を合わせないように、通り過ぎた。岩下が通り過ぎると途端に肩の力がぬけた。

突然に緊張し、ホッとする俺の気持ちが繋ぐ手から伝わったのか葉菜は変な顔をして見上げいた。

その時、後ろから

「あの…」

振り向くと、岩下がいた。

「あっ久しぶり。何?」

努めて明るく俺は答えた。

「今…少し、いいかい?」

「あっ俺、今」(デート中)

と断ろうとすると

「ねえ、私、あそこのビルのショップが見たいの。涼ちゃん、そう言うの好きじゃないから、ひとりで行ってくるわ。じゃあねぇ、後で電話してぇ」

(気が利きすぎなんだよ。葉菜め!)

さっさと行ってしまう葉菜の後ろ姿を恨めしく見送った。言い訳を無くした俺は諦めて、溜め息をつくと

「どこか、喫茶店でも入ろうか…」

「うん、ありがとう」

手近なカフェで、ふたりともコーヒーを注文した。

暫く黙って俯いていた岩下が口を開いた。

「あの…君には謝らなきゃって、ずっと…」

「はっ?謝る事?」

もう、終わった事。俺は今、幸せだし言うことも無いのだが、やはり思い出すと、つい、ぶっきらぼうに答えてしまう。

「その…あの時は、本当に悪かったよ。最初は僕に仕事もないし、本当に代行でって話だったんだ。それが日が経って、みんなから

”もう、来ないだろうから、変わっちゃえば?”

とか課長も

”いつまでも、代行じゃあなぁ”

って言われて、僕も…その…結婚を控えてて、少しでも収入を増やしたくて…」

(えっ結婚!彼女いたのか?)

「もう、いいし…!お前は、上手くやってるんなら、それでいいだろ?じゃあ」

俺は話を終わらせて、立ち上がろうとしたら

「僕もあの会社、辞めたんだ…」

(えっ?高そうなスーツを着て、明らかに出世した感じなんだが?)

訳がわからなかった。

「辞めったって、なんで?」

「うん、あの後、君が辞めると、すぐに僕の顧客もみんなに取られていってしまってね…

”岩下君の真似をしただけぇ”

と言われて、言い返す事もできずにいたんだ」

(あいつら…)

俺は笑っていた奴らを思い出した。

「でも、それでも基本給は他の会社よりはある。どん尻の業績でもなんとか、しがみついていたんだ。君を裏切った事を激しく後悔しながら…そしたら大学時代の駅伝サークルの仲間から、起業するからウチに来ないかって」

(駅伝サークル?)

それも知らない。どれだけ知らないんだ、また落ち込みそうだ

「でも、そんな、どうなるかわからない会社に行っても不安だろ?断ったんだけど、同じサークルでマネージャーをしてた彼女が

”今のあなたって、さいっっていね!友達を落とし入れた挙句に結局仕事を取られて!馬鹿じゃないの!学生時代はそんなんじゃなかったわ!駅伝も、万年補欠だけど走るのが好きだって、いつも汗して練習してたし、サークル仲間とも仲良くて…練習の後、疲れてても私の洗濯を一緒にしてくれたり…

そんな貴方を好きになったのに!今の貴方は何よ!給料がいいからって、底辺でやりがいのない会社にしがみついて!ほとほと嫌になったわ!このままの貴方なら、私、別れようかしら!”

って、僕には彼女しかいないし、捨てられたらほんとに行き場がなくってしまう。それならと、友達の誘いに乗ることにしたんだ」

「そうだったんだ…」

「それから、友達の会社に入って、

”営業をやってくれないか”

って頼まれて、自信ないからって断ろうとしたけど、腹をくくって話に乗ったからには、何でもしなくちゃって引き受けたんだ。まぁ社員が二、三人の会社だったから、営業以外も何でもしなくちゃいけなかったけど…」

「そうか!それで?」

さっさと話を切り上げて帰ろうと思っていたのに、俺は熱心に耳を傾け始めていた。

「うん、それで心機一転して、いざ営業に行ったら、君から聞いていた、いろんな話しを思い出してね。押したり引いたりの駆け引きの仕方や相手の出方によって、こうすればいいみたいな…そんな君から聞いた事が思い出されてスルスルと言葉が出てきて、顧客を増やす事が出来たんだ」

「えっほんと?」

俺はようやく笑う事が出来た。自分が岩下に偉そうに喋った話が少しでも役に立ったなら、そんなに嬉しい事はない。

「うん、それで取り引き先も増えて、今はだいぶ安定してきて従業員も増えたんだ。でも、まだまだだから、こうして、休日も出勤しなくちゃいけないけどね…」

俺の態度が柔らかくなったのがわかったのか、少し安心した顔つきになった。

「じゃあ!お前、重役じゃん!」

「そっ…そんな風に言うなよ!何でも屋だって…」

みるみる、顔が赤くなる。改めて見ると、前は真っ白だった顔も、外回りを反映にしてるのか浅黒く日焼けしていた。

「君がさっき、とても素敵な女性と一緒で、前の会社にいた時と全然顔つきが変わってたから、それで…今、勇気を出さなきゃって声をかけたんだ」

「うん!俺も今、最高に幸せ!ある意味、君のおかげだもんな!」

「そんな!」

「いや!だってあんな事がなかったら、同じ会社の彼女には出会えなかった。マジで感謝しなくちゃな!」

「そう言ってくれると、救われるよ」

「それで岩下はもう、結婚したの?」

「うん、無事に彼女と結婚できて、もうすぐ子供も生まれる」

「そうか!じゃあ先輩だな」

「そっそんな、君にそうな風に言われるなんて…」

昔のわだかまりは消え去り、なごやかに話をした。

「もっと、たくさん話をしたいな。でも、彼女さんをこれ以上待たせたら悪いね」

「俺も話したい!これからは、本当の友達になろう!」

そう言って連絡先を交換した。そして、カフェから出て別れると葉菜に電話した。葉菜はどこかで待っていたのか、すぐ、現れた。

(心配してたんだろうな…)

「大丈夫だった…?今の方が岩下さん…」

「わかるの?」

「うん、何となくね。それで、話は上手くいったみたいね?」

俺のスッキリした顔を見て葉菜は勘づいたらしい。


そんな風に、葉菜とどんどん近づいてくるのも、俺には幸せだった。

「さあ、早く部屋を見つけなくちゃな」


 そう言えば、もうすぐ秋になる。今年こそは、約束してた、満月の海に行かなきゃな。それまでにアパートを決めて入籍しなきゃ!