第18話 親友の哲也
俺達は、二階の部屋に入った。
「うお!さぶっ」
俺は、オカンが用意してくれたファンヒーターをつけた。
「ああ、雨戸を閉めちゃったんだな、寒いから仕方ないか。ここは星空も綺麗なんだよ。また、別の日に見に行こう」
「うん」
葉菜は少し笑って返事をした。さっきの事が気になるらしい
「もたれるところがないな」
と言って、布団を折り曲げて座った
「まぁ、そんな事して…」
「いいさ、いいさ、葉菜も横においで」
葉菜は横に座った。俺は持ってきた、ペットボトルのお茶を葉菜に渡した。
「ありがとう」
「眠くない?」
「昼間、たくさん寝たから、まだ全然」
「そっか…」
俺は深く息を吐いて話し始めた。
「哲のお母さん、”くみ”っ言うんだけど久美おばちゃんには、俺は会ったことないんだけど…」
「ないの?」
「うん…久美おばちゃんは、随分と高齢出産だったらしいんだ。年はわかんないけど、その上、体も丈夫でなかったから、子供ができた時も
”やめた方がいいんじゃないか”
って言われたんだって。でも、おばちゃんは子供がずっと欲しかったし、どうしても、河原。あっ、哲の、苗字ね。」
「あっうん」
「その河原の跡継ぎを産みたい。子供が…哲がお腹に出来て、すっごく嬉しかったんだって、だから、周りになんと言われようと
”絶対に産む!”
って聞かなかったそうだ」
「なんか、ちょっとウチと似てるのね」
「まぁ…そうだね。それで哲也は生まれたんだけど、産後の肥立ち?が悪くておばちゃんは、ほとんど起き上がれなかったんだ。哲にオッパイもあげられないし…それで、ウチの母ちゃんが哲の家に毎日行って哲にオッパイを飲ませてたんだ。
元気にオッパイを飲む哲を床に伏せりながら見上げておばちゃんは
”あぁ、元気な子だねぇいっぱい、お乳を飲んで…さっちゃんごめんね世話かけて…”
”そんな事は気にしくていいよ。ほんとに元気な子でたくさん飲んでくれるし、私の方が助かる。涼なんか中々、グズグズして、中々飲んでくれなくてねぇ、哲ちゃんは体重もどんどん増えて重くなってきたよ”
”ふふ、惣ちゃん…パパに似たのかしら?”
”ああ、きっとそうね”
”私も元気になって、早く哲也を抱っこしたい”
”うん、もっと重くなってるから、ちゃんと体力つけて元気にならなきゃ”
”うん、楽しみだわ。私、この子を産んで良かった”
と言ってたんだけど、おばちゃんは、そのまま、哲を抱くことなく亡くなったんだ」
葉菜は下を向いて動かなくなった。
「それで、惣おじちゃんは、おばちゃんが亡くなって一時期とても、気を落としたんだけど、我が子はやはり可愛くて哲也を凄く大事にしてて、田畑を耕していつか、哲也と親子二人で働ける日を楽しみに頑張ってたんだ。
そんなある日、惣おじちゃんが中々家に帰って来なくて…心配した河原のじぃちゃんが探しに行ったら、おじちゃんが畑で倒れてて…すぐに、病院に運んだんだけど、熱中症で…長い時間、畑で倒れていたらしく、手を尽くしても、駄目だったらしい…」
俺は、ペットボトルの水を開けて飲んだ。
(重いな…)
この話は、誰にもした事が無かった。村の者はみんな、知ってるし他に話す機会も無かった。母さんから聞いた話と自分の記憶を思い出しながら話した。
「それから、哲はまだ小さいし、じいちゃんもばあちゃんも、かなりの高齢だから、哲也を養子に出したらどうか?って話が出たんだけど、じぃちゃんもばぁちゃんも、
”嫁が命をかけて生んだ河原の跡取りを惣一の血を引くこの子を誰にも渡さん!”
って言って、実際二人は、やっと生まれた初孫をめちゃくちゃ可愛いがってて、手離すなんて、とても考えられなかった。そんで家屋と小さな畑を残して、土地を殆ど売って現金に変えて、哲を育てる事にしたんだよ。
でも、俺らが小学生三年くらいかな?じぃちゃんも亡くなって、後は、ばあちゃんだけになっちゃったんだ。
何となく、事情がわかるようになった哲は、ばあちゃんに着いて、畑仕事や買い物をよく手伝っていた。でも、その、ばあちゃんも…哲が中学に入ってすぐ老衰で亡くなってしまったんだ…」
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[葬儀の夜]
葬儀の日は、曇りで今にも雨が降り出しそうだった。
葬儀は家で執り行われる。村の女達がみんな手伝いに来て、会食やお茶などの準備や手伝いをしていた。周りがバタバタしている。
その時も哲は、ばぁちゃんに買ってもらった真新しい中学の制服を着て正座し、その両膝の上に拳を握り締めたままの手をおいて、口を真一文字に閉じたまま座っていた。
見たこともない哲。俺は声をかけるのもためらった。
いつも、天真爛漫で、怒ったり泣いたり笑ったり、すぐ顔に出るのに、全く無表情で座っている、それが俺には余計に悲しかった。それは村の者にもわかった。
いつもなら、老衰で亡くなった人の葬儀の後の会食は、
”お疲れ、ご苦労、また、あの世で会おうぜ!”
みたいにどんちゃん騒ぎで見送るのだが、その哲の様子を見ると誰もそんな気にならず、みんな、食事を済ませると早々に帰って行った。静かな葬儀だった。
全てが終わり、夜になった。流石に哲を一人にしてはおけないので、母ちゃんと父ちゃんが残る事になった。
「お前は帰れ」
と言われたが、親友で兄弟の様に育った哲を置いていくのが、どうしても気がかりで、俺は
「残る!」
と言って聞かなかった。そして、そのまま哲の家に泊まる事になった。布団に入って眠れないでいると、トイレに行きたくなった。
この家は殆ど改築されていなくて二階にトイレはない。玄関続きの台所も土間のままで、トイレもいわゆる、”ぼっとん”だ。
(めちゃ怖い…)
暫く我慢したが尿意には勝てない。仕方なく下へ降りる。補強はしてあるがあちこちガタがきてて、そこら中からギシギシ音が鳴って更に怖い、ようやくに縁側の端にあるトイレに辿り着き、そうそうに事を済ませ上に行こうとすると、縁側続きの台所から灯りがもれている。
(母ちゃん?まだ片付けかな?)
と思っていると、うめき声のような声が漏れてくる。
(なんだろう?)
近づいていくと、うめき声は泣き声だった。俺はとっさに台所の横の壁に張り付いた。
「ああ…ああ…うっうっ」
哲だ!その声は雑巾を絞るようにぎゅっと苦しく締め付けられるような声だった。今まで聞いた事のない哲の泣き声だった。そして次第にその泣き声は大きくてなっていった。
「あっあっ…おばぢゃん、おばぢゃん、おれ、おれ…………」
「俺なんかが…生まれてこなきゃ!!」
(!!!)
「おっおれなんかが生まれでこなきゃ…父ちゃんも…母ちゃんも…じぃちゃんもばぁちゃんも土地を売らずに……俺なんかが…生まれてきたから………わああああああ!」
と張り詰めたものが切れたように、今度は大きな声で泣き叫び始めた。
俺は、そのまま壁づたいずるりと崩れ落ちた。
哲が…!あいつが…!そんな風に思ってる事を俺は微塵にも考えた事が無かった。
確かに、ばぁちゃんが体調を崩したりすると、不安げで、寂しそうな顔をしていたのは知っていたし、何か出来ることがあれば手伝っていたけど、まさか!そんな事を考えてるなんて思いもつかなかった。
俺は涙がボロボロ溢れてきたが、それを拭うのも忘れて、呆然としていた。
いつの間にか、父ちゃんがとなりにいた。
「と…どおちゃんは、知っていだのか?…ヒックヒク…グッ」
父ちゃんは俺に手拭いを渡した
「ああ…まあ…な」
俺は顔を手拭いでグシャグシャと拭いた
「おで、おれ、なんにも…きづがなかった…」
「ガキのお前にゃわからないだろうよ…」
「でも…でも、毎日、一緒にいたのに…何でも知ってると思ってたのに…ヒック」
「哲はな、お前には気づかれたくなかったんだろうよ。自分が
”生まれてこなきゃ良かった存在”
なんて、お前には…」
泣きながら俺にもわかる気がした。俺の家は普通で俺はほとんど何不自由なく、育ってきた。互いに同じように遊び、同じように競ってきた俺に
”自分は生まれて来なければ良かった”
なんて事は俺には絶対に知られたくなかったんだろう。
「だっだから、おれに…帰れと?」
「まぁ…そうだな…」
「おれ…おれ…情けない…ウッウッウ」
父ちゃんは、俺の頭をポンポンと叩き
「でもな、本当に哲を元気に出来るのはお前だぞ、父ちゃん達は慰める事はできても、元気にさせることはできん。お前が哲を元気にしてやれ、なっ?」
そうは、言われたが、ガキで無力で何もできない自分が情けなかった。悲しく悲しくて、涙が止まらなかった。
暫く泣いてると台所から、母ちゃんの声がした。泣き叫ぶ哲にゆっくりと話しかける
「あんたが生まれて、とうちゃんやかあちゃん、じぃちゃんもばぁちゃんもどれだけ喜んだか話してやったろ?そして、どんだけ大切に思ってたかも、何度も何度も…ばあちゃんもお前の自慢をみんなしてた
”哲は頼りになる!”
って」
「うん…うん…でも…でもぉ」
「うんうん、わかってるさ……今は何を言ってもね……たくさんたくさん泣きなさい。それで、泣くだけ泣いたら、河原の…四人分の命をしっかり背負って生きていくんだよ」
「うん…うっうっ…うわぁぁぁぁん」
星ひとつ見えない夜空に叩きつける雨のように激しい哲の泣き声と俺のむせび泣く声が暗闇に吸い込まれて行った。
俺は次の日、父ちゃんにだけ言って家に帰った。
(自分に今できることは何もない。父ちゃんの言った通り、哲が落ち着くまで待とう。あいつは必ず立ち直る、そして、そん時は俺は全力で頑張る)
そう心に誓った。
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横を見ると葉菜がタオルに顔を埋めて、震えるように泣いていた。持っていたハンカチはぐっしょり濡れてしまったので、途中で俺がタオルを渡した。
今は俺も顔を見られたくない。ペットボトルの水をグイッと飲んだ。
「それから、また大変でさ」
「またって…?」
葉菜は不安な泣き声で聞いた。
「うん、哲は中一で、まだ、義務教育も終わってない未成年だろ?保護者がいないんだ。身内と言っても、惣おじちゃんは一人っ子だったし、じいちゃんばぁちゃんの兄弟も亡くなってるか、孫子の代まで変わっていて、哲也を引き取るのは無理だったし…」
「それで…?」
「うん、それで村役場の人が来て、残り少ない土地を売って施設に入るよう勧めてきたんだ。哲も覚悟してたらしく、荷物をまとめてた」
「えぇ!そんなぁ」
「だろ?それを母さんが猛反対したんだ。じゃあ、どうするんだって話になったんだよ。村人も何とかしたくて、総出で話し合ったんだ。村役場の役員も村人だから本当はそんな事を勧めたくはなかったんだよ。いろいろ話し合って、
”ウチが哲の後見人になり、ちゃんと中学卒業、高校まで行かせる”
と言う話に落ち着いたんだ。養子にしたらと言う話もあったが、母さんが
”哲は河原の子だ!河原の名は捨てさせない!”
って…だれも反対はしなかったよ」
「良かったわ」
「実際、母さんは哲也を、本当の息子と同じように思っていたんだ。生まれてすぐに、おっぱいを飲ませ、熱を出せば見に行き、腹を壊したって言えば薬を届け、ウチで作ったおかずも何かと河原の家に持って行ってた。さっきの口調でもわかるだろ?」
「お腹出して寝るんじゃないよって…」
「うん、実の息子の俺たちよりも気にかけてるんじゃないかと思うくらいだった。そんで、高校も哲は
”行かなくてもいい”って言ったんだけど
”うちの、涼平が高校に行って、お前が行かなきゃ、後見人を買って出たうちが、いい赤っ恥じゃないか!”
って言って高校にも行かせてた」
哲はその間も残された家や畑を大事にしてて、家は他所から材料を貰って見よう見まねで直したり、畑もずっと世話をしてきた。取れた野菜はウチに持ってきたり、お世話になってる人にあげたり、豆に動いてたな。そんな、姿を見てきた、村役場の人が
”高校を、卒業したら、役場の職員になってくれ”
って、ここの村役場も人がたくさん雇えなくて何でも屋みたいで大変なんだ。でも、哲なら大丈夫だと認めてくれたんだ」
「哲ちゃんは、頑張り屋なのね」
「まぁ、俺の親友だからな」
しょってるオレに
「うふふ」
とようやく、葉菜に笑顔が戻った。
「今は理恵って言う彼女もいるし、みんな、早く結婚して落ち着いたらいいって思ってるよ。さぁもう、遅い寝ようか?」
「うん」
俺たちは、やはり同じ布団に入って眠りについた。
「哲也は、もう立ち直って頑張ってるから、気にしないで普通にな」
と言うと
「わかったわ」
と葉菜は返事をした。